第二部 ジェイムズ経験論の周辺


第五章 ジェイムズのヘーゲル観

Ⅰ 主知主義のチャンピオン「ヘーゲル」

 ウイリアム・ジェイムズの哲学を成立させている要が、一貫して彼のプラグマティックな主意主義的精神であったとしたとき、われわれの下す結論はきわめて安直になりやすい。すなわちジェイムズとて時代の子であり、彼の生きた時代のアメリカでは人間の努力や活動や意志と言った実践形態は単なる理論認識をする知性以上に重要視されるべきだとする諸情勢が、彼をして反主知主義的傾向に走らせたというのである。たしかにわれわれがこの結論を短絡的であると見なすことはできても、誤りであるとする根拠はなにももっていない。しかし一市井人ジェイムズとしてではなく、一哲学者ジェイムズとして彼を見た場合、彼が主意主義的精神でもって主知主義批判をいかにして行っていたかを吟味してみることは興味深い作業であろう。というのは、合理論であれ、経験論であれ、少なくともこれまでの哲学はなんらかの主知主義的精神に支えられてきており、それ故ジェイムズが主知主義批判を行なうのは、これまでの哲学そのものの在り様に対する懐疑を示すことになるからである。
 換言すれば、われわれは言葉上から受ける印象から、「主知主義」の反対語として「主意主義」を思い浮かべるわけであるが、ジェイムズにとっては内容的にはそれは彼の中心思想である「根本的経験論」以外のなにものでもなかったのである。そしてジェイムズの自負としては(少なくとも認識論上の問題としては)この根本的経験論はこれまでのあらゆる哲学を十把一からげにしたものに対抗する哲学であったばかりか、これ以外には真の哲学はありえないとするほどの気持ちであったかと思われる。
 しかしながら、実際には彼の言うところの根本的経験論は、一般に誤解されて受けとられていると言われる彼の「プラグマティズム」と結びつけて考えられなければならず、安易に評価されてはならないのであるが、認識論としての哲学と限って見るとするならば、イギリスの哲学者F・C・S・シラーが言うように、
(1)根本的経験論に対立する言葉として挙げられるのは、後に示すように、「伝統的経験論」であると言うよりは、「アプリオリズム」であると言った方が的を得ているように、私には思われる。もっとも、そうなると主意主義あるいはアポステリオリズムとの関連はどうなるのかと言った新たな問題が発生してき、ややこしくなってくるのであるが、ここでは、ひとまず、この問題がジェイムズの主知主義の考え方を巡って起こってきていることに鑑み、それを敷衍することが間接的にもこの問題に答えることともなろう。
 とはいえ、ジェイムズによっては主知主義はその理論的性格が直接に浮き彫りにされる形では言明されていない。相も変わらず、それがどのような事態を招来しているか、あるいは、それをもつ人達の考え方がどうなのかという点を指摘することで留めているので、われわれとしては一種のいらだちを覚えるのであるが、それでもR・B・ペリーが編纂した『哲学の諸問題』の補遺の『信仰と信ずる権利』の中では、かなり明らかにされている。今、それを箇条書きにすれば、以下の如くになる。
(1)主知主義は、われわれの精神はそれ自身において完全な世界と偶然に出合い、それの内容を確かめる義務をもつが、それの性格を再決定する力は、それがすでに与えられているが故に、もたないという信念である。
(2)主知主義者には、合理論的主知主義者と経験論的主知主義者とがある。前者は演繹的、「弁証法的」論証を強調したり抽象的概念と純粋な論理を使ったりする。後者はより「科学的」であり、世界の性格はわれわれの可感的経験に求められ且つ専らにそれに基づいた仮説に見いだされねばならないと考える。
(3)両者は、個人的好みは最後には何の役割も果たさないだろうし、アルベキモノからアルモノへの論証は有効ではないことを強調する。また「信仰」が禁じられている。
(4)主知主義は、「証拠」がないものを信ずるのは拒否するということを規則としている。そのために規則は、誤りを避けることがわれわれの至上の義務であり、すべての点で宇宙はわれわれがそれを取り扱う前に完成されているということを要請している。
(2)
 ジェイムズのこのような考え方は、文字通り、彼の好みからきているのは明らかである。彼の主知主義批判はいかにもアメリカ人気質を現していると言ってしまえば、それまでであるが、哲学者でもあるジェイムズにして見れば、やはり、自分のアルケーを確立していくに当たっては、自分の哲学的立場を鮮明にするのみならず、これまでの哲学を批判する限りは、彼の嫌がる「論理」を使って、具体的に対応をしていかなければならないだろう。それを吟味するにおいて、さしあたりわれわれは次の二点を確認しなければならないだろう。
 第一の点は、ジェイムズ自身は経験的立場に立っていたのは周知の事実であるから、彼の考え方がこれまでの経験論に対してはどうであったかという問題である。だがこの問題に関しては、すでに拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』であきらかにしたように、ジェイムズはこれまでの経験論をさして「伝統的経験論」ないしは「中途半端な経験論」と言い、それらは主知主義を介在させることによって経験論的立場を徹底しえなかったと批判して、自らのそれを根本的経験論(Radical Empiricism)と呼んだのである。そして、とりわけ従来の経験論者の中でジェイムズの最大の論敵となったのはD・ヒュームであり、ジェイムズは知覚主義者ヒュームですらも主知主義的であったとして、彼を批判の俎上にのせることによって、これまでの経験論批判のシンボルにしたてあげたのは前章でもあきらかにした如くである。
 第二の点は、合理論の哲学に対してはどうかという問題である。実際のところ、ジェイムズが主知主義的哲学の中で最も批判したかったのは合理論そのものであったと言ってよいだろう。その意味ではジェイムズは自著の論文のいたるところで、プラトンからはじまる様々の合理論者を批判している。
(3)すなわち合理論的な考え方から生まれてくる観念論、スコラティシズム、アプリオリズム、一元論、絶対論等々の諸説を十把一からげにして、その支持者を批判の対象としたのであった。というのはそれは、要するに、主知主義の立場に立つ彼らが「真理が永遠にミイラとされている高貴な建物の中に自分たちの体系の絶対的究極性を要求した」(4)からにほかならなかった。
 この彼らの考え方がジェイムズの実際主義的真理観とは相入れなかったのである。とりわけジェイムズによって批判されたのはヘーゲルであった。丁度、経験論批判をヒューム批判でもって代表させたのとは対照的に、彼は合理論批判をヘーゲル批判でもって代表させたのである。ジェイムズがヘーゲル批判に熱心であったのは、ヘーゲルの哲学が絶対的観念論(ジェイムズの言葉で言えば、絶対者の哲学)と言われるべきものであり、まさにその観念論的な考え方こそ彼自身の根本的経験論にとっての最大のライバルであると見なされたからであった。それだけにジェイムズはヒュームに対するのと違って、このヘーゲルに対しては、単に気質的に合わないと言う彼独特の批判のしかただけではなく、先述したように、彼自身の最も嫌がる「論理」でもって批判するという方法をも採らざるをえなくなったのである。ここにわれわれは哲学者ジェイムズの苦しい一面を垣間みることができるのである。本章は、そのジェイムズが主知主義的哲学のチャンピオンであるヘーゲルをいかに考えていたかについて、ジェイムズの思考のプロセスに沿って跡おいすることによって、究極的には、ジェイムズの考え方の心髄に迫ってみようとするものである。

Ⅱ ヘーゲル批判のための11のテーゼ

 さて、われわれがジェイムズのヘーゲル観を理解する際に、貴重な素材を提供していると考えられるのは、一八八二年に発表された『若干のヘーゲル主義について』とその二六年後の一九○八年に発表された『ヘーゲルとその方法』の二編である。
(5)この間、ヘーゲルについて断片的に言及している論文がないでもないのであるが、この二編はヘーゲルの考え方について詳細に批判しているという以外に、批判のニュアンスがあきらかに異なっていると言うところから、ジェイムズ自身の思想の成熟過程を推し測る意味で、ジェイムズ経験論の研究にとってきわめて重要な役割を果たしているのである。
 前者の論文が出た頃のジェイムズは哲学の授業をはじめたばかりであり、気鋭の哲学の徒として多元論的経験論的な哲学を展開しだしていたのであったけれども、まだ自分の思想的確信を表明するだけの段階に留まっていたのである。たまたま彼の周辺では、ヘーゲル主義とりわけヘーゲル弁証法が勢力をもつにいたっていたことから、彼はそれへの反発心から、「弁証法が概念のみによって取り扱われた時は、まったくいまわしいものであると信ずる」
(6)が故に、そのときの己れの思想的確信を基調にして、いわばヘーゲルの論理のあげ足とりをしてまとめたのが、この論文なのであった。
 ペリーも言っているように、この論文は「気軽で嘲笑的な響き」
(7)で書かれてはいるものの、ヘーゲルの考え方に対してはかなりポレミックな挑戦を行っている。そこではヘーゲル『論理学』に出てくる様々なテーゼを逐次批判しているのであるが、すべてそれらは「同一の矛盾性と矛盾の同一性の原理はヘーゲル体系の本質である」(8)とみる単純で生硬なジェイムズのヘーゲル観に基づいている。
 このときのジェイムズはヘーゲルが豊かなディテールをもつ現実を理解する力を十分にはもっておらず、概念だけでもって抽象的世界をつくりあげている傾向を強くもっていたと見ていたようである。しかも、皮肉なことには、ジェイムズはヘーゲルを論駁するにあたり形式論理学でいう「矛盾律」を採用していたのである。もちろん、そこには後になって彼が定式化したプラグマティズムをはじめとする多元論や根本的経験論の考え方が背景にあったのであるが、それを明確にしえないままに、ジェイムズは自分がヘーゲル主義者ではない根拠づけを次のように行ったのである。

1 われわれは菓子を食べ、且つそれを所持することはできない。すなわち思想家にあり うる唯一の現実的な矛盾は、一方が真である場合には他方が偽であるということである。 このことが生じるとき、一方は永遠にそうでなければならない。両者が全体として復活 しうるいかなる「より高い総合」はない。  
2 一つの中断は効用的意味においても一つの橋渡しにはならない。すなわち単なる否定 は思想の積極的進歩の道具でありえる筈がない。
3 連続体、時間、空間及び自我は橋渡しをする。なぜならばそれらは中断がないからで ある。
4 しかしそれらは部分的にのみ表象された諸性質間の中断の上に橋渡しをする。
5 この部分的橋渡しは、しかしながら、諸性質を一つの共通世界に与からせる。
6 諸性質の他の特徴は分離された諸事実である。
7 しかし同じ性質は多くの場所と時間においてあらわれる。いかなるところにおいても 見いだされる性質の類的同一性はこのようにしていろいろな動揺が滅らされるさらなる 一つの手段になる。 
8 しかし異なった諸性質間には動揺は残っている。各々はその他者が関係しているだけ、 絶対的に分離された偶然的存在である。
9 道徳的判断は帰することのできないものとして世界の偶然性を要請するようにわれわ れを導きうる。
10 たがいに偶然的である諸要素はそれらが時間、空間その他の連続体に与かっている限 り不一致の状態にない。それらは、たがいに排除する諸可能性としてそれらが自身にお いて時間、空間及び自我の同一の諸部分を所有しようと努力するときにのみ、衝突する。
11 いかなる知性にも帰すことができなく、また現実性をこえる過度の可能性を生じさせ るところのそのような現実的な衝突があるということは一つの仮説であるが、しかし信 頼すべきそれではない。哲学はそれ以上のなにものであると自認すべきではない。
(9)
 
 われわれはこれらの諸命題をいかに見るべきなのか。たしかにこれらは、一見したところ、ヘーゲルの弁証法的な考え方(例のトリアーデ)を念頭におきつつ、自らの言葉でもって語ったヘーゲル批判ではある。しかし内実は、前述したように、ヘーゲル批判に名を借りて、後に開花するジェイムズ経験論の骨格を示唆したものであり、そのときのジェイムズの力量と信念に従って一方的に宣告したものであると言ってもよいだろう。事実、ジェイムズはこのとき余裕をもってヘーゲルを批判することができなかったのである。それが故に、ジェイムズはヘーゲルに対して一種の恐れの念をもち、その生硬な反発として、ヘーゲルの考え方が亜酸化窒素のガス中毒にかかったようなあるいは酪酊による涙もろさを特徴づけるような「和解」感をおしつけていると揶揄さえしたのである。
 ジェイムズのこの物怖じしないヘーゲルに対する揶揄は、それこそなにも知らぬが故の気負いであるとも言えるわけであるが、考えようによっては、この揶揄は同時にジェイムズ自身のヘーゲルに対するライバル意識の裏返しの態度でもあった。かくて、『若干のヘーゲル主義について』の『ノート』の結論において、ジェイムズは五項目に亘るヘーゲルに対する断罪を下した。それを要約すれば、次の如くである。
 「普通の世界においては、事物の共有性つまり分有の法則は、それが知覚されたときは大変強力な情緒を生じさせるが、ヘーゲルは彼の生涯を通じてこの情緒に異常に敏感であった。それがために情緒の満足は彼の至高の目的となった。その満足は彼の使う手段に関してかなり無遠慮にしてしまった。無関心主義は無限と連続性をそれの本質とする世界のあらゆる見解の真の現れであり、悲観論的あるいは楽観論的態度はその瞬間の単に偶然的な主観性に関係している。矛盾物の同一化はヘーゲルが仮定する自己発展する過程であるどころか、真に自己消滅する過程である。それはより少ない抽象からより大きい抽象へ通り、究極的無をあざ笑うか、無意味な無限性に目眩く驚きの気分になるかして終わる過程である。」
(10)
 結局のところ、当時のジェイムズにとって気に入らなかったのは、ヘーゲルの論理学が大学で授業され、彼の弁証法が概念上の問題であるにもかかわらず、もて囃されていた事実に対する反発の精神が大いに与かっていたように思われる。別のところでも言っているように、ヘーゲル主義的なタイプの弁証法的思想は、「まっ正直な悟性が従う流れの中から幾人かの人達が吸いだされていく渦まき」
(11)であるとして憂慮し、ヘーゲルが実在的なものの連続性やわれわれが具体的に関与している部分のもつ重みを少しも理解していないと見て、自らの気質を丸出しにしたところのヘーゲル批判を行っていったと思われるのである。それ以後のジェイムズにとっては、ペリーの言うように、「ヘーゲル」や「ヘーゲル主義者」は、自分の考え方とは異なる決定論、主知主義、絶対主義、要するにその一元論的迷信の考え方をする人達の代名詞となったのである。(12)
 ところが、『若干のヘーゲル主義について』を発表してからの26年間は(それはジェイムズの哲学的人生のすべてであったと言ってよいくらいの期間なのであるが)、ジェイムズをして確固たる哲学的殿堂をつくらせるに余りある期間であった。当初の彼の多元論的経験論的観点はヘーゲル批判のための11のテーゼしか生みだしえなかったが、後になって、それはジェイムズの哲学の三本柱、すなわち根本的経験論、プラグマティズムそして多元論となって結実していったのである。いいかえれば「ジェイムズ経験論」が不動のものとして確立されていったのである。
 『ヘーゲルとその方法』はそう言った背景のもとに講演され、発表されたヘーゲル批判の一つなのであった。そこには、世界観の違いから、あいかわらずの厳しいヘーゲル批判が展開されていたのではあるけれども、前の論文に見られたような思い上がった態度は見られず、ジェイムズの謙虚さがみち、ヘーゲルに対してはむしろ賞賛に値するライバルとして描かれている。少なくとも、この論文において、ジェイムズはヘーゲルをトータルに否定しようとする気持はなく、逆にヘーゲル的な考え方を自分の哲学の世界の中で弄ぶ(表現は悪いが)余裕さえもっていたのであった。
(13)これなども考えてみれば一種の思いあがりかもしれないが、それほどジェイムズは自分の考えに自信をもつようになってきていたのだとする証左として見ることもできるであろう。
 さて、前おき的な一般論はこれまでとし、次にわれわれはジェイムズのヘーゲル観を、主としてこの『ヘーゲルとその方法』に書かれた内容を素材として、具体的に吟味していかねばならないだろう。

Ⅲ 天才ヘーゲルの「まがった好み」

 逆説的な表現であるが、ジェイムズのこの論文を読むと、彼がヘーゲルから多大の影響をうけていたというのはまぎれもない事実のようである。それはヘーゲルの考えがいたるところでジェイムズのそれと対立しているという点が、逆に、ヘーゲルの考え方をして反面教師的な役割を果たさせているという意味においてである。ジェイムズにとれば、ヘーゲルはあまりにも体系的な考え方、従って全体以外のなにものもとらないという点で頭から批判されるべき哲学者であった。
 その印象から、最初の頃のジェイムズはヘーゲルの哲学体系を「一つのネズミ採り器」
(14)に似ていると揶揄的に評価し、もしわれわれがその中へと入る戸を通りすぎれば永遠に姿が消されるかもしれないとする危機感を告白したが、後になってヘーゲルを一種の恐れにみちた賛辞の気持でもって「あの奇妙な、力強い天才」(15)と呼ぶようになったのは、究極的には、ジェイムズがヘーゲルを「直接的にも間接的にも思想界における観念論的汎神論を他のあらゆる影響があわさった以上に強化する仕事をした」(16)チャンピオンと見なすようになったからである。それ故にヘーゲルはジェイムズの体系的観念論批判のシンボリックな犠牲者にされたのである。
 だが、ジェイムズのヘーゲルに対する直接の表現は、かかるヘーゲル哲学の体系性、いいかえれば部分を全体の中に吸いこませる考え方へのまっこうからの対立的意図に基づいていたにもかかわらず、印象的に次のように言いなおされている。「ヘーゲルは大変嫌悪すべく書いたので、私は彼を理解することはできない。」
(17)この言葉は天才ヘーゲルを惜しむジェイムズの批判の一表現形態であると同時に、ジェイムズの謙虚な態度のあらわれ(もちろん自信に裏打ちされてはいるが)であるとも言えるだろう。
 それではジェイムズはなぜヘーゲルを理解できないという形で批判したのか。言うまでもないが、ジェイムズはヘーゲルのビジョンを理解していなかったのではなかった。ジェイムズはヘーゲルのビジョンが主知主義者の使いたがっている言葉によって述べられている点が理解できなかったのである。すなわちジェイムズはヘーゲルについて次のように判断したのである。「(ヘーゲル)自身の体系は永遠の理性の産物であらねばならず、従って強制的な必然性の示唆をもつ『論理』という言葉は、自然的であると彼が見いだすところの唯一の言葉であった。それ故彼はアプリオリな方法を使い、昔の論理的な術語──定立、否定、反省、普遍、特殊、個物等々──の乏しい備えによって仕事をするふりをしたのである。」
(18)その結果、ヘーゲルはその主知主義者の用語によって自らの考えを絶対者(ヘーゲルの言葉では絶対精神)の出陣をあおぐことによって体系化せざるをえなくなり、非現実的な壮大さをもつようになってしまったのだ、とジェイムズは理解したのである。
 しかし後半のジェイムズはヘーゲルのものの見方の実際的な姿は「素朴な観察者」
(19)としての立場に基づくと考えるようになった。すなわちヘーゲルは現実をよく見ることはできるのだけれども、専門用語の使用に対するまがった好みにとりつかれていたにすぎないと好意的に解釈するようになったのである。というのは、ジェイムズの目から見れば「彼(ヘーゲル)の精神は、真実、印象主義的であった」(20)からである。それ故「単に現実的なもののある経験論的局面の報告者としてはヘーゲルは偉大であり、真理を言っている」(21)とジェイムズには思われたのである。ところがヘーゲルのこの「まがった好み」は彼自身をしてさらにそれ以上の野心をもたせた。すなわち彼は単なる経験論的局面の報告者よりもすぐれた人間になろうとしたのである。
 その結果いかなる事態になったのか。ヘーゲルは「すべてを結びつけるので論争の余地なくまた確実であるとわかるところの一つの真理、一であり、不可分であり、永遠であり、客観的であり、必然的である真理、あらゆるわれわれの個別的思考がその完成のために導かねばならない真理」
(22)の考えに支配されるようになったのである。すなわち「哲学におけるすべての合理主義者(rationalizer)のドグマティックな理想であり、批判されず、疑われず、挑戦されなかった要請」(23)に身をあずけたのである。これが、ジェイムズがヘーゲルを理解できなかったとする具体的理由であろうと考えられる。
 ところで、ジェイムズにはすばらしい観察者であると思えたヘーゲルが、なぜに経験の事実の中に真理を見いだしえなかったのか。この「なぜに」にあらわれるヘーゲルの心的過程が、ジェイムズには不可解だったのであろう。とはいえ厳密に言うならば、ジェイムズはこの点について理解できなかったのではなかったということはわれわれにも察知できるであろう。かかる表現はジェイムズ独特の逆説であり、究極においてヘーゲルの宇宙にはあるべきである(shall-be)という言葉によって思考が展開されているということをジェイムズは十分に知っていたのである。
(24)そこでジェイムズはこのようなヘーゲルの二つの姿を見て一つのテーゼを考える。すなわち「哲学において哲学者のビジョンと彼がその証明において使うテクニックが二つの異なれる事柄であるという事実は、ヘーゲルにおいてほど、明白な証拠となっているものはない」(25)というテーゼをである。
 実はジェイムズがこのように考えたのもヘーゲルの表現方法に対する批判からきていたと思われる。ヘーゲルが「大変嫌悪すべく書いた」とはヘーゲルのビジョンに対するジェイムズの理解が深かったが故の皮肉であったのである。そしてかかる皮肉は次のようなジェイムズの表現とならざるをえなかった。「ヘーゲルの中心的思想が容易につかまえられるとしても、彼の話し方のいまわしい習慣は彼の思想の詳細な部分への適用をしつづけるのをきわめて困難にしている。文章の方法におけるだらしなさへの情熱、術語に関する無原則で、あてにならない態度、たとえば事物を完成するものをその事物の『否定』とよぶ彼のおそろしいボキャブラリー、彼が論理学を話しているのか、物理学を話しているのか、それとも心理学を話しているのかどうかを知らせようとはしない彼の常習的なやり方、要するに不明瞭さとあいまいさを入念にとりいれる彼の知謀、これらすべてのことは彼の現代の読者達をして絶望的に彼らの髪の毛を──あるいはヘーゲルのそれを──ひき裂かせようとする。バイロンの海賊のように彼は『一つの徳と千の罪をひっさげて他の時代に』名を残したのである。」
(26)
 われわれはジェイムズのこの指摘を露骨であると見るべきであろうか。確かに表現としてはヘーゲルの特徴をこれほど見事に象徴的に伝えているものはないだろう。しかしながらジェイムズの心の中に、ヘーゲルにおいてほんのわずかなものが欠けていることを心から惜しんでいる気持があることも見のがされてはならないだろう。

Ⅳ 二重否定の考え方に基づくヘーゲルの弁証法

 この点をふまえてわれわれはヘーゲルの考えのいかなる点にジェイムズが着目していたかを、すなわちヘーゲル批判の論理的根拠をもう少し具体的に見てみる必要がある。ジェイムズの言に証しを求めるまでもなく、ヘーゲルのビジョンとは理性がすべてをつつみこむということであり、事物は弁証法的であるということである。(27)特に後者のとらえ方はヘーゲルの特徴をあらわす典型であり、ジェイムズ自身もある意味では、事物の中には弁証法的な動きがあるという点を認めているのである。
 おそらくヘーゲルが事物の弁証法的な運動という考えをもちだすときに素材として考えられたであろうと推測されるのは、現実における具体的生活の全構成であっただろう。ジェイムズはそう考えて弁証法それ自体は「ヘーゲル的なビジョンないしは直観の一部であり、経験論及び常識において最も強い反響を見いだす一部」(28)であるとして見ようとした。たとえば、印象主義的にとらえるならば、平和は軍備によって、自由は法律と制定によって確立されており、単純さと自然さは人為的しつけと訓練の完全なる帰結であり、健康や力は富は惜しみない使用や消費によってのみ増大する。またわれわれの不信の不信が商業の信用制度をうみ、無政府主義的及び革命的発言に対する寛容さがそれらの危険を少なくする唯一の方法であり、真のエピキュリアンは大なる節制を守らねばならず、確実性への道は徹底的な疑いを通してえられ、徳は清浄を意味せず罪の知とその表明を意味し、われわれは自然に従うことによって自然を支配する。そして一般に倫理的生活や宗教的生活もそのような矛盾にみちて解決されているとまあ、ジェイムズは考えたのである。
 これらの例は、なかにはいくらか飛躍的なものもあるが、われわれの具体的生活の場における事実を見事にあらわしていると言えよう。ジェイムズがヘーゲルを「素朴な観察者」と呼んだのは、これらの例がヘーゲルの心中で確実に考えられていたのだと思いたかったからにほかならない。にもかかわらずヘーゲルは、かかる事実を見る目はすぐれていたけれども、それらを説明するにあたって、事物の多元論的な見方を意味する言葉を使う方がより適切であるということに気づかず、超経験的な光において見ようとしたのである。くりかえしになるが、ジェイムズにはこのヘーゲルの態度がどうにも解せないというわけである。
 しかもヘーゲルにおいてはわれわれが住んでいる世界における矛盾にみちた性格は「より高い総合」において解消されていると考えられるところから、現実とそのより高い総合の立場は、相反するものではなく調和的にあるという考えが支配的であったのである。このことがなぜに可能であったのかと言えば、それはヘーゲルが具体的生活の場における事実、すなわち知覚の領域の事実を概念の領域のそれにうつしかえたからである。従ってヘーゲルは「存在を保たせているものの秘密として可感的事実それ自身をではなく、むしろその事実をとりあつかう概念的方法をさししめした」
(29)のである。
 もっとも、ヘーゲルの概念について言えば、ジェイムズは他の概念主義者の考えるそれと違って、それは革命的なものであると見ていたようである。なぜならば「彼の目においては概念はそれ以前の論理学者が想定していたところの静的な独立自足的なものでなく、発芽しているものであり、彼が内的弁証法と呼んだところのものにより、自分自身をこえておたがいの中へ入りこんでいくものであり、諸概念はそれらがするようにおたがいを無視することにおいて実際的におたがいを排除し否定し、このようにしておたがいを招きよせるものであった」
(30)からである。ジェイムズによれば「弁証法的論理学はアリストテレス以来すべてのヨーロッパが育ててきた『同一性の論理学』にとって代られねばならない」(31)という意味で画期的であったのである。
 この観点からのみならず、われわれはヘーゲルの体系の本質が同一の矛盾性及び矛盾の同一性の原理であるということをよく知らされている。この原理は概念の自己発展的性格を見事に表現したそれである。だがこの原理はさらにもう一つの前提にしていたのであった。すなわちそれは「全体性の原理」である。あるいはそれは次のように言いなおすこともできるだろう。後者の原理が背後にあるからこそ、前者の原理が論理的にもまた現実的にも可能であるという考え方が導出されてくる、と。全体性の原理とは何か。簡単に言うならば、それは、丁度アリストテレスが言うように、切断された手が手であると言われえないように、部分はそれを形成するところの全体をわれわれが知るまでは決して知られないと言うことであり、事物について言えば、それが実際的にもまた潜在的にも結んでいるあらゆる関係をわれわれが理解するまではその事物についてのすべてを知ることはできない、という原理である。ヘーゲルにおいてはかかる全体性の考えが背後にあったからこそ、矛盾せる現実を調和的に解消することができたのである。
 とはいえジェイムズはまさにその考えそのものを否定していたのである。なぜならばそれは、冒頭にも述べたように、その考えを導出する過程そのものが主知主義的であったからである。それではヘーゲルの場合はどのようにしてそれが展開されていたのか。先の部分で言ったようにヘーゲルはまず存在の秘密は概念的にとりあつかうことによって解明されうると考えていた。そしてその上に彼の弁証法を駆使して概念を躍動させようと考えた。だがヘーゲルは事物を理解するにあたって感覚から概念にうつしかえるとき、それがいわゆる「悪い主知主義」
(32)を不可避的にともなうということに気づかなかった。すなわち「概念はその概念の定義に含まれないすべてのものをその概念の意味において考えられた実在から除外する」(33)という点に気づかなかった。
 従って、ヘーゲルにとっても「一つの有限的な事物の観念はその事物の概念であり、他のいかなる事物の概念でもない」
(34)と理解されねばならなくなったのである。ジェイムズによれば、ヘーゲルはその上に「他のいかなる事物の概念でないということを、あたかも他のいかなる事物の存在しないということの概念に等しいものであるかのようにとりあつかっている」(35)のであった。いいかえればそこでは他のすべての事物が否定されてしまったのである。すると、まるで坂道をころげおちるように、「はじめに考えられた事象によって暗黙に否認された他の事物が同じ法則によってその事物を否認するので、弁証法の脈がうちはじまり、あの有名な三和音(traids)が宇宙を奏でだす」(36)のである。
 この作用は二重否定の考え方に基づいているとジェイムズは見る。たとえばAを定立したとする。しかしそれはそのままでは後になってnot-Aを定立するものによってAを定立する一貫性がくずれてしまう。従ってAを定立する場合、not-Aと考えられるすべてをあらかじめ否定するパターンがヘーゲルによって採用されていたわけであるが、ヘーゲル自身はそれをただ次のようにまわりくどく言っていたにすぎなかったのである。「われわれが一つの存在者Aと他の存在者Bを考えるとき、Bは最初他者として定義される。しかしAはまさにBの他者である。両者は同じ様式において他者である。『他者』はそれ自身によって他者であり、それ故にあらゆる他者の他者であり、従ってそれ自身の他者であり、単にそれ自身と似ないもの、自己否定者、自己変革者である。」
(37)
 それ故ヘーゲルは二重否定の論理によってそれ自身の他者を含むような一つの全体(絶対者)を導出しようとしているための努力をしていたにすぎないとジェイムズは考える。この奇妙な一つの全体が特異であるのは、単によせあつめの全体ではなく、絶対者による論理的な限定をうけるものだからである。ジェイムズによれば、ヘーゲルは「経験の直接的有限的な所与はそれ自身の他者でないが故に『真でない』と考えている。」
(38)そしてそれら所与はそれらにとって外的であるものによって否定される。しかるに絶対者はそれがそしてそれのみが外的環境をもたぬが故に、またそれ自身の他者でありえたが故に真なのである。
 これは、いいかえれば、事物がそれ自身の他者であるということを真とするためには、あの悪い主知主義の破綻のおちつく先であるところの、あらゆるものを包括する知覚的統一という考えをいきなりもってこざるをえない知性の越権行為を裏から認めている考え方以外のなにものでもなかった。ジェイムズのビジョンからすれば、経験の直接的有限的な所与は様々な経験の文脈においてそれ自身の他者にもなりうるのであり、従ってはじめから一つの統一体なる考えを用意する必要がなかったので、それらの各部分に必然性を与えるなどというややこしい考え方をもちこむ必要は少しもなかった。従ってジェイムズのそれは、ヘーゲルのように非存性と具体的存在とがごちゃまぜにされるためにそれらを一連の総合的種類の同一性なるものによって一緒に結びつけなければならないという苦労をする必要もなかったのである。

Ⅴ 「あるべきである」気質に支配されたヘーゲル

 以上の論述においても判明されるように、ヘーゲルは一面現実に対して実にこまやかな点にまで見とおせる力をもちながら、ジェイムズの言葉に従えば、例のあらねばならない(must-be)気質ないしはあるべきである(shall-be)気質に支配されていたために観念論的汎神論、すなわち一般に大陸合理論といわれる系譜の中でのチャンピオンとしてそびえたつ破目になってしまったのである。こういったヘーゲルの奇妙な考え方が、たとえば現実における矛盾が必然的であり、しかも絶対者によって調和的に統一されるという、一見わかったようであり、その実不可解なそしてそれ故に人間の具体的活動の場がどこに保証されちるのだろうか、とわれわれをして疑わせるような混乱をもたらしているというわけである。
 それに対してジェイムズは(他にも様々なヘーゲルの考え方の批判のパターンがあるのだろうが)経験そのものに徹するという態度を固持しながら、かもしれない(may-be)気質でもってでも宇宙や世界に対処しようとするのである。それはまた、人間の具体的活動の場を保証するという意味において、ジェイムズの基本的な考え方にもっとも適合していたからである。
 ここに、わがジェイムズによるヘーゲルの主知主義(絶対観念論)批判を吟味するにあたって注目すべき結論に遭遇するのである。たしかにジェイムズの主知主義批判は一貫していて、主知主義はその悪しき本性から最後にはつじつまあわせのために、ある統一体を招来する破目になって、実在そのものを把みそこなってしまう点に、その批判の論拠が求められている。その意味で、ヘーゲルの場合は「絶対者」の観念がより鮮明にうちだされているだけに、ジェイムズにとって公然と批判しやすい相手であったと言えよう。しかしそのことでもって、ジェイムズがヘーゲルを十分に批判しえたとは言えないし、ジェイムズ自身もヘーゲルを完膚なきまでに打ちのめしたなどとは毛頭考えていなかったという点は忘れられてはならない。
 論理そのものよりも生のダイナミズムの方を重要視するジェイムズにとっては、彼のパターンである主知主義批判は、所詮、己れのビジョンを明確にするための効用性さえ持てばそれでよかったのである。『ヘーゲルとその方法』を著した頃のジェイムズは、いわば円熟期に入っており、形の上ではヘーゲルに対して論理的な批判を行ってはいるものの、自身では、二人が明白に異なるビジョンの持主であることぐらいは十分に承知していたのである。
 そのビジョンとは、ヘーゲルの方は理念性を大事とするそれであり、自分の方は事実性を大事とするそれである。これが、すでに述べた如く、二人のビジョンの違いはmust-be気質あるいはshall-be気質とmay-be気質との違いでしかないという考え方にまで発展しているのである。もちろんジェイムズはこれらビジョンあるいは気質に優劣の判断を下しはしている。しかしこれらはおたがい排他的なものであると必ずしも見なしていないのは、まさにジェイムズが論理的なものにこだわっていない証左である。というのは、これらは人間の生の具体的活動の中で対等に存在可能であるからである。それ故に『若干のヘーゲル主義について』期のジェイムズが啓示の如くに抱いた多元論的経験論的観点は、『ヘーゲルとその方法』期においては、一元論的観念論をやみくもに排除するそれではなく、一元論的観念論をもとりいれるまでに発展してきていたのである。
(39)
 かくて、われわれはジェイムズのコンテキストに従って一つのヘーゲル観を見てきた。ここではヘーゲルないしはヘーゲル主義者の視点からの反論をまったく欠落させているので、一面的であるのそしりを免れえないが、ヘーゲルを理解するための参考にでもなれば、私の喜びとするところである。
 最後に、思想史的に見た場合、経験論者ジェイムズは決してヘーゲルとその影響を過小評価していなかったということを伝えておきたい。ジェイムズにとって、ヘーゲルはまさに最大の論敵なのであるが、それが故の意図的な悪しき評価をヘーゲルに対して行わなかったということは、まさに「ジェイムズ経験論」の面目躍如たるの輝きがある。もっとも、その社会的背景として両者が呉越同舟をする偶然が介在していた所為もある。なぜならばジェイムズ自身もいうように、「伝統的イギリス経験論に対する反動の運動としてヘーゲル的影響は広がりと自由をあらわし、ある種の奉仕をしていた」
(40)からであり、他方ではジェイムズ経験論もまた、伝統的経験論の批判の上に成立していたからである。この伝統的経験論も二十世紀に入って様々に変容していくわけだが、ここで論じるのは本章の意図を超えることになろう。
 ただ一つ、私にとって残念なのは、ジェイムズがヘーゲル的影響の重要性は認めながらも、ジェイムズには、同じヘーゲルの影響をうけしかも自分とほぼ同時代的であったマルクスの考え方についての言及がなかった点である。それが「唯物論」であったということがジェイムズの哲学的気質に合わず、それ故にますます無視されたのであろうが。ジェイムズにそれを求めるのは、彼の精神的土壌からして無理というものであろうか。


(1)拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』第三章、第六節の注の二を参照。
(2)S.P.P.,pp.221-222
尚、この点については拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』第二章、第一節において別の見地から述べているので参照せよ。
(3)合理論批判をするのであれば、本章のようにヘーゲルを取りあげるのではなくカントを取りあげるべきだと考える人も多いのではないか。しかしながら、見方の違いからかもしれないが、ジェイムズはカントを典型的な合理論者としては見ていなかったのである。ジェイムズの認識に基づけば、カントは経験論と合理論との混合型の人間であると見ていたようである。とはいえ、このことによって、ジェイムズがカントの果たす役割を軽視していたというわけではない。事実、『哲学の諸問題』をはじめ、他の著書においても、かなりの部分カントについての言及を行っているのである。(これらを素材とすれば、ゆうに一つの論文ができるほどに。)これらを考えてみるに、ジェイムズはカントの『統覚の先験的自我』の説は現代の観念論哲学の基礎を与えたとして彼を高く評価しながらも、その説自体を認めなかった。またジェイムズのカント観を見ると、そこにはやや奇抜さが見られる。カントはたしかに主知主義者であるのだが、彼の考え方はヒュームのそれからほとんど進んではいないと言うのである。カントはヒュームをのり超えたのではなく、ヒュームの考えを手なおししただけにすぎなかった。例えば、実体、因果関係の考え方はほとんど一致していると彼は見る。即ち両者は実体については概念に対する積極性を否定しているという点で、また因果関係についてはそれを単なる時間継起に翻訳しているという点などである。それこそマクロに、そしてプラグマティズムに考えれば、ヒュームの「習慣」とカントの「カテゴリー」とは言葉の違いだけの問題でしかなかったのかもしれない。従って、カントの方がより主知主義的であったがために、彼は「統覚の先験的自我」なる主体を容易に導き出すことができたので、ヒュームの味わう憂鬱におちいらないですむことができたのだと、ジェイムズなら言いそうである。(それぞれの研究家からはとんでもない見方だと非難されるかもしれないが)
(4)S.P.P., p.36
(5)『若干のヘーゲル主義について』は『信ずる意志』に、『ヘーゲルとその方法』は『多元的宇宙』にそれぞれ収められている。
(6)W.B., P.x
(7)T.C.W.J.,Vol.Ⅰ, p.278
(8)W.B., p.270
(9)ibid.,pp.293-294
(10)ibid.,p.298
(11)M.S.,p.376
(12)T.C.W.J., Vol.Ⅰ, p.725
(13)『哲学の諸問題』の中の注でジェイムズが次のような趣旨のことを言っているのは矛盾せる表現といってよいだろうか。「ヘーゲルは直接的知覚と観念的真理とを媒介概念という梯で結びつける。それは観念的真理は直接的知覚を不可欠のモメントとして残すことであり、しかもヘーゲルは頂上についた後でも、その梯をひきあげてしまわないから、必死の主知主義的口調にもかかわらず、彼を非主知主義者として数えてもよいかもしれない。」(S.P.P., p.92)
(14)W.B.,p.275
また、『心理学原理』の中で、面白くも、ジェイムズはヘーゲルの弁証法のことを「精神のパントマイム状態」と呼び、そこでは「あらゆるものが考えられぬ敏捷さと巧妙さでもって『その反対のものへと入りこむ』」(P.P.I,p.369)と述べている。
(15)P.U.,p.85
(16)ibid.
(17)S.P.P.,p.92
(18)P.U.,p.93
(19)ibid.,p.87
(20)ibid.
(21)ibid.,p.100
(22)ibid.
(23)ibid.
(24)この点についてジェイムズは次のように言う。「ヘーゲルの著作にはthe shall-be気質が到るところにあり、そびえたっている。それは言語上の、論理上の抵抗を同様に無視している。」(P.U.,p.143)
(25)ibid.,p.85
(26)ibid.,p.88
(27)ibid.
(28)ibid.,p.86
(29)ibid.,p.91
(30)ibid.,pp.91-92
(31)ibid.,p.92
(32)ibid.,p.106
このように、ジェイムズは主知主義によって全体性の考え方を導入するのは誤りであるとするのだが、彼の根本的経験論の中には彼固有の全体性の考え方が見られるのは事実である。
(33)ibid.
また、他の箇所では次のようにも言っている。「名づけられた事実からその名前の定義が積極的に含みえないものを除去するものとして名前をとりあつかうこと」。(P.U.,p.60)附言すれば、このテーゼがジェイムズの主知主義批判の論理的根拠となっている。ジェイムズの主的主義批判そのものについては、すでに冒頭の部分で述べたのであるが、『多元的宇宙』の日本語訳者である吉田夏彦氏が『あとがき』の中でこのテーゼに対し批判的にコメントされているので一読をおすすめする。
(34)ibid.
(35)ibid.
(36)ibid.
(37)S.P.P.,p.95(Hegel;Wissenschaft der Logik,BK.i,sec.1.chap.ii,B,a.)
(38)P.U.,p.108
(39)この点については、ジェイムズの後半から晩年に書かれた主要著書のいたるところで示されているから参照されたい。ここから考えられるに、ヘーゲルとジェイムズはまったく相反する立場から「和解のための哲学」を提唱したと言えないであろうか。すなわちヘーゲルは概念的世界において、ジェイムズは経験的世界において。
(40)W.B.,p.236

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